どんな考え方にも、100%正しいと言うことはない。
倫理的道徳に反しているようなこと(例:人を殺してはいけないなど)を除けば、
人にとっての正義は、人の価値観に依存しるものである。
自分は、「当たり前だ」と思っていることも、他人にとって「当たり前」とは限らない。
法律やルールに「A」と書いてあっても、受け手によって「B」ともなれば、
「C」となることもある。それは「間違い」ではなくて、「当然」のことである。
人間誰しも、無意識に出来上がった「フィルター」を通して、世界を見ている。
その「フィルター」を存在することを受け止め、そしてどんなものであるかは、
自分自身が考える以外に、答えが見つかることはない。
残念ながら、「フィルター」を存在を認めようとしない人が多いのではないかと思う。
人間の行動は9割が無意識だと言われている。
9割の行動は、たくさんの自分自身に出来上がっている「フィルター」を通じて、
行動しているといっても過言ではない。
そう、フィルターは1つではなく、複数であるから、なお厄介なのだと思うし、
だからこそ全てを自分で受け入れ、認識することが難しいのだと思う。
自分にも他人にも、必ず何かしらの「背景」があって「フィルター」が出来上がり、
そして今の言動に繋がっているのだと考えるべきである。
それを考えることが、自分を、そして他人を承認する行為に繋がるのではないかと考える。
意味不明な文章、失礼しました。